大矢一穂
1997年生まれ、愛知県出身・在住。2016年愛知県立旭丘高等学校美術科卒業。2021年金沢美術工芸大学油画専攻卒業。
油彩表現と身体表現を主題に、物語的な絵画を制作。2019年よりアーティストとして活動を開始。主に油絵を制作し、西洋の近世絵画から、現代日本のアニメーション表現までを取り入れ「人間の物語」を描く。近年特に女性の肉体表現と物語を中心に制作をしており、内容は聖書から作者自身の体験まで多岐に及ぶ。
私の作品は、人間関係と、その社会の中で起こる物語を描いています。抽象的な作品、具象的な作品どちらを通しても、そこには常に人間の存在や物語が存在しています。その物語を、私の手で絵画として紡ぎ出すことが私の目標です。
物語を紡ぐということは、かなり人の精神的・思念的な部分に依存している行為ですが、反面、絵を描くという行為はかなり身体的なものではないでしょうか。目で見て、手を、体を大きく動かしていく中で作品は生まれていきます。絵のサイズの大きさによっては手が届かず苦労する部分もあるほどです。
このように精神・身体、両面によって紡がれる絵画の物語であるからこそ、霊的なものと肉体的なものを併せ持つ、まさに『人間の物語』として、絵画は機能するでしょう。
仮面を被る女性が鏡の前に立つ姿を描いた。
ドローイング的な揺れ動く線と、マスクが日常になっていた当時、「急激に変化した生活を想起させる、コンテンポラリー」な作品である部分が評価され、大賞受賞に至った。
中学から専門的に絵画を描き始めたが、アカデミックな作品と、アニメや漫画作品の隔たりに苦しみ続けていたが、そうしたものから脱却する第一歩として描いた作品。
絵を描く裸婦が我々鑑賞者に目線を投げかける姿を描いた。作品の中にも裸婦を見守る大きな目や天使がおり、また女性自身も枠組みを飛び出して作品を描いている。見るものと見られるものの立場が入れ子構造になる本作品はそのテーマ性とインパクトのある画面が評価された。本作品のベースは、私自身がヌードモデルを務めたこと、またヌードモデルを利用し作品を描いてきたことである。
加えて、講師として教壇に立ち、また社会人として生活していく中で、改めてその出来事の重さや、社会的にどのような扱いを受けるのか、それは女性の「見る」「見られる」視点のおかしさや、そうしたものへの疑問を込めて制作した。
愛知を拠点に、東京での展示活動が主となっています。また、台湾・北海道での展示など海外、県内問わず活動をしています。
私の作品は、油彩表現と身体表現を主題に、物語的な絵画を制作することを目指しています。
幼少期より私は物語が好きで、元はライトノベルの挿絵を描く、イラストレーターになろうと考え、美術の勉強を始めました。しかし実際にアカデミックな美術の教育を受けていくと、一つの疑問を持ち始めました。皆さんも、中学・高校での美術の授業の時間に、「漫画っぽい」絵を描くことは躊躇われたのではないでしょうか。漫画の絵が上手くなりたくて美術の学習をし始めたはずなのに、全くその練習ができない現状に私は苛立ちと疑問を感じていきます。しかし、同時に2010年代当時、村上隆のスーパーフラット的絵画や、山口晃のイラストレーション的な絵画が世に出てきた時でしたから、高校生の私は彼らに傾倒し、また勇気づけられていました。彼らのように、どうにか「漫画っぽい」図像を学校や画塾で描く、「アカデミックな」絵画に持ち込もうと、一人で反抗を試みていくことになります。
大学に入ってもやはり現状は変わりませんでした。が、私自身の視野も広がり、同年代の美大生と多く関わっていく中で、「漫画」らしい図像を絵画に持ち込むのはどうにも悪いことではないと、同じように活動し、アカデミックに漫画的絵画を描いている人はたくさんいるのだと気づいていきます。しかし、ならばなぜ、漫画的表現はアカデミックな場面で忌避され続けているのか。その原因を探っていく行為が私の作品制作の根本にあるように思います。
漫画的表現とは何なのか。大きくデフォルメされた顔・体、感情を表す背景の花々、など挙げていくときりがありませんが、私はそのすべての根本に「物語性」と「時の表現」があると思います。人物の顔や感情を表す記号化された表象は、その物語の登場人物を視覚的に捉えやすくすること、また早さを表現する集中線やコマの枠そのものは如実に時間経過を記号化しています。こうした漫画的表現の肝の部分は、油画表現でも、試みられているものです。デクーニングの激しい筆致は感情と時間経過を感じさせますし、ジェニー・サヴィルの動く身体をドローイング様の線で画面に留めた絵画は、何本も手が描かれ、動きを表現する漫画表現と変わらないのではないでしょうか。
こうした考え方をもとに、私は物語的な絵画を制作しています。そして私自身が現在物語っているのは、自分も含めた「女性」の物語です。性別を限るのは現在ではやや狭量な考えかもしれません。ただ、やはり私は女性側から女性の歴史を語ることが、未だ社会の中に不足していると感じるのです。
代表作として紹介した「神のみぞ知る」は私自身が実際にヌードモデルを経験した体験、またヌードモデルを利用し作品を描いてきた両方の体験から生まれた絵画です。長く女性は「見られる」立場とされてきましたが、男とも何ら変わらないわけですから、当然「見る」側でもあるのです。こうした社会的通念に違和感を感じているのは、私だけではないと信じています。女性が「見る」側として主体的に表現してきた例は、男性に比べとても少ないです。だからこそ、私は私が見て感じた世界を、油画のキャンバスという1つの世界に閉じ込め、世界に発信していきたいです。
そして、もう一つ、私の制作に欠かせない要素として、平面の油彩という制作方法があります。油彩画材は、乾きづらく不便を感じる時もありますが、乾きづらいからこその色の表現、絵の可塑性は、一枚の絵の中で、様々なイメージを行ったり来たりする私の制作方法に合っていると感じます。
女性の身体を巨大に描くこと柔らかさの表現を念頭に置き5枚以上作成。
最も表現が曖昧なものを選ぶことが多い。この段階では参考資料は特に無し。
ラフスケッチをもとに下描き下地にはキャンゾールのクリーム色。油性下地だからこその堅牢さと艶が生まれる。またクリーム色は青色と反対色であり、青色に深みが出る。ラフスケッチをベースにしつつ、自由に描く。5枚以上作成。最も表現が曖昧なものを選ぶことが多い
描き進める。20センチ以上の幅の刷毛を扱い大きく女性の肉体を表現する。サイズが大きいため、多くのテクスチャーが得られるように、ゆるく解いた絵の具を画面にぶつけるなど、色んな方法で絵の具を増やす。
絵の要素として、女性一人では200号のキャンバスは保てないと判断。瞳を描き入れる。
また、肉体もイマジネーションのみでは弱い表現になると、この段階から鏡を使い、具体的に描いていく方式になる。
自身の肉体だけでなく、今までのスケッチや写真なども参考により、今回の柔らかいイメージに合う身体を表現していく。
また、瞳を描きいれたことにより、作品内の物語性がより具体的になり、筆が進むように。
右側の女性を描くことでより、テーマ・作品の方向性が固まってきた。あとはテーマに沿いつつ、作品としてのバランス上必要な図像や色を配置していき、仕上げに向かう。
完成作では左側の女性が、ミケランジェロ「アダムの創造」中の神(ヤハウェ)になり、右下にも、アダムが命を吹き込まれる指を描いた。全体的にグレーズ技法や、マスキングテープを使い、丁寧に仕上げた。