ターナーギャラリーさんにて2022年 1月11日〜18日個展をさせていただきました。
この個展はターナーアワード2020にて大賞受賞の副賞としての展示になります。
【ステートメント】
『円環』とは、『アニュラス』ともいい、数学の世界では、“2つの同心円によって囲まれた領域”のことを指すらしい。ドーナツで言えば、身の部分にあたる。私はこの『円環』という言葉を、“二つの事象に挟まれ起こる、三つ目の事象”として解釈した。
その上で、宇宙や霊的な世界も含めた、いわゆる「自然」を一つ目の事象、人間が社会の中をめぐって活動する流れ、人間関係を二つ目の事象とし、その二つの間、『円環』部分を見つめた結果が私の作品である。
人間社会というのは複雑なものだ。この社会には人間が「こういうルールがあると上手くいく・わかりやすい」と決めたルールによって基本的には運用されている。そしてそのルールに則って人間を育て、全員がそのルールと上手く付き合えることが推奨される。人間全体としても上手くいくし、個人の生命体としても、ルールと上手く付き合えた方が結局楽に過ごせる場合が多い。しかし、ルールは人間社会が勝手に生み出した方法だが、その決定には、自然界が関わっていることがある。
例えば、女性は生理の時には公衆浴場に入れない。当たり前のようなルールだが、そもそも生理という人体に内在する自然がなければ存在しない規則である。この場合自然が原因となって人間社会のルールが作られているし、そう思えばこの世のルールのほとんどは自然に起因しているともいえる。ただ、群れとなった人間社会というものが、自然と人間関係の狭間にあるルールをもとに回っていると、個人として辛くなることがある。先程の例につなげて言えば、生理の時こそ温かい大きな浴槽に浸かりたいし、私の血は別に汚くない!ということだ。私のわがままと言えばそうなのだが、辛いと感じる私自身の現実までなくなるわけでもない。
『円環からの逸脱』という言葉は去年の4月ごろに思いつき、そこからは私の作品とともにあり続けた言葉である。この間に描いた作品を見てみると、こちらを見つめる女をモチーフに描いた作品が多い。彼女たちはきっと私だ。私の、自然と人間の二つの間にある現代社会を見つめる、眼差しや思いを仮託された女たちだろう。彼女たちは、描かれたこの一瞬だけ『円環』から逸脱している。この世界や社会に疑問を感じたり、反抗したりしているからだ。結局は彼女たちもこの『円環』の中で生きていくのだろうけど、その一瞬の思いはきっと何かにして残さなければならない。大矢一穂は、それを絵画とする方法をとった。この世界の自然と、人間社会とから離れて、でもその両方を見続ける視線を感じ取っていただきたい。
2022年 1月11日 個展に寄せて 大矢一穂





